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本来人間は、横的な父母として、神様を縦的な父母として、縦横の父母の愛を中心として喜びの出発を見なければならなかったのが、起源地でした。それがサタンによって侵犯されたために、これを再び奪って付けて、真の父母の息子娘にならなければなりません。そうするためには、野生のオリーブになったために、真のオリーブの枝をもらって、接ぎ木しなければなりません。
それゆえ、宗教は接ぎ木する仕事をするのです。これがキリスト教思想というものです。それで、新郎新婦の婚姻の宴が、この地上に現れなければいけないという言葉が出てくるのです。(五八\二一九)
人類の希望が何かというと、真の父母に会うことです。そうでしょう? 歴史的結実が何かというと、真の父母に会うことであり、時代の中心が何かというと、真の父母に会うことですあり、未来の出発の基地が何かというと、真の父母に会うことです。そこに接ぎ木された皆さんは、枝になるのです。そうではないですか?
今まで、歴史時代の願いは、全部未来にありました。しかし、今日皆さんの一生を中心とした真の父母との因縁は、永遠に一時しかないのです。一度しかない貴いものです。分かりますか? 皆さんの先祖たちも持てず、皆さんの後孫たちも持てないのです。(四六\一六八)
堕落によって、サタンが人類を全部連れていきました。地獄に全部連れていったのです。それで、このように行くここにおいて、神様が一つ二つ分けるのです。この世界が、サタン世界の野生のオリーブでしたが、そこで天の側のオリーブを作りました。半分を中心として、民主世界のキリスト教を中心として、天の側の野生のオリーブを作って、世界をリードさせておいたのです。このサタン側の世界が弱化して、キリスト教文化圏が強くなれば、再臨主が来ていっぺんに切って、完全に接ぎ木して一つにして、回して立てるのです。
今日、右翼と左翼が皆滅びました。右翼左翼が皆滅びるようになったのです。誰がそのようにしましたか? 神様と真の父母がそのようにしたのです。分かりますか? それで、このような解放を宣布すると同時に、真なる父母と一つになった家庭は、世界のどこにいても、今まで真の父母がやってきた道を相続したために、そこで強く雄々しくあれというのです。そうなれば、神様とこの宇宙が先生を保護するように、その家庭を保護することによって、一国を消化するのは問題でないのです。これを宣布するのです。(拍手)
皆さん、今からどこの信徒かと聞いたら、誇らしく宣布しなさい、「私は統一教会の信徒だ」と。(拍手) 統一教会のメンバーが何かというと、真の父母に属した者だというのです。我々は真の父母の子女だというのです。けんかしないでください。けんかするのは、サタンを受け入れることです。分かりますか?(はい)。宣布して回りなさい。「我々はナンバーワン・ムーニー! ナンバーワン神様の子女だ!」と言いなさい。そうすれば、サタンが讒訴できません。そのような考えを確固として持って回りなさい。分かりますか?(はい!)(二〇一\一二九)
我々のみ旨の帰着地が家庭です。家庭がなければ、神様の定着地がありません。すべての家庭は、真の父母を中心として繁栄するので、家庭がなければ何も成すことができないのです。木で言えば、トランク(trunk;幹) を中心として枝が伸びるのと同じです。その枝を折って挿し木をすれば、その木は繁殖していくのです。
そのような枝の使命を完遂すべきなのが、宗族的メシアです。分かりますか? トランクからずっと東西南北に伸びて、大きくなることで、中心の根も大きくなるのです。その中心の根が大きくなるには、枝が大きくなることで比例的に大きくなるでしょう?
それで、横的に大きくなれば縦的にも大きくなるのです。横的な基準を犠牲にして、ずっとこのように根が大きくなれば、枝もずっと上がるでしょう? み旨を中心として、熱心にすれば、このようについてくるのと同時に、横的に拡大した力が圧縮されるために、為に生きることで天宙をつなげることができるという結論が出るのです。
それで、夫婦を中心として行くとしてもですね、神様を中心として縦的な基準において横的に奉仕の生活をすれば、そこで天宙統一圏が自動的につながるのです。このように一つになれば、必ず回ります。回っても倒れません。横的な基準があるために、倒れないのです。軸を中心として回るのです。必ず回らなければいけません。遠心力と求心力が一つになることによって運動するのと同じです。
自分自身が無の境地になれば、自動的に回ります。回り始めれば軸も上がって…。下がるようになれば、自然に反動が生じるのです。それで、上がったり下がったりするのです。呼吸するように運動するのです。そのような完成型のような人間が、天上世界で家庭を成せば、天国家庭の基盤になり、そのような基盤を築くようになれば、離れません。父母が行くのにおいて、共に永遠に侍ることができるのです。
それゆえ、真の父母を中心として、心情的共鳴体を成し、その生活の体恤を基準に永遠な心情世界の基盤になっているのです。
統一教会員は、真の父母とともに、神様とともに生きていくと言うでしょう? 真の父母の愛とともに生まれるのです。愛は永遠な因縁を結ぶために、愛の因縁は絶つことができません。死ぬときまで愛を忘れられないのです。そうでしょう?
父母は死んでいくときも愛の心情を持って、息子娘を愛しながら死んでいくのです。夫や妻も同じです。愛を忘れて死んでいく人はいません。愛は、死を越えて、永遠とつながるのです。それで、愛による生命圏を受け継いだ自分、男と女というものは、愛の根本である父母を忘れてしまうことができないのです。
父母は根であり、自分自身は幹であるとするなら、息子娘は芽です。それが共に大きくなれば、氏族圏、民族圏、国家圏に拡大するのです。そういうものでしょう?(二一八\一二六)