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1 「天父主義」と名づけた理由
先生はなぜ天父主義という言葉を語ったのでしょうか? 共産世界と民主世界があるのですが、それらどのように形成されたのですか? 家庭を中心として形成されているので、私たちの天父主義を中心として家庭さえ連結させるならば終わるのです。これらはすべて必要ないのです。条件さえ立つならばクルッと回って行くのです。ですから、民主世界であれ共産世界であれ、家庭理想がないというのです。みな壊れていったのです。
ソ連人の趣味は、酒を飲むことと女房、それしか知りません。女房もみな酒を飲みますから、そのような女房を好むのです。ですから、家庭もめちゃくちゃになったというのです。今や家庭を連結させ、家庭消化の版図を拡張させることにより、家庭理想を中心とした父母主義と王権主義が完成を見るようになるのです。そうすることによって本然の世界に帰ることができるというのです。(一九八九・一〇・一七、漢南洞公館)
2 天父主義宣布の背景
存在の基台は、何でもって確定しようとするのですか? 理想から見るとき、愛をもってするのです。私たち人間は、堕落したので二種類が生じたのです。ですから、世界が全部サタン圏に入っていったのです。ここから、天は全部浸透して奪ってくるのです。個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、天宙時代まで……。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様までです。蕩減です。それが、統一教会では八段階です。横的な面でも八段階、縦的に上がっていくのも八段階です。これを結びつけて定着したと宣布したのです。
今回、アラスカで先生が一九八九年八月三十一日に宣布したのが八定式です。こうすることによってどのようなことが始まるのかといえば、世界の人類の前に蕩減を必要とする時代を越えていくというのです。その話とは何かといえば、統一教会の世界の前に、先生が行く所や、統一教会の信徒たちが行く所には、迫害時代がなくなるというのです。
今や、天の国に王国を建てるとか、何をするとか、私たちがありとあらゆることをするとしても、誰も讒訴できません。それで、その基地として定着する式が八定式です。この八定式を基盤として、一九八九年九月一日に天父主義を宣布しました。
これは何かといえば、八定式が終わる時までは長子権復帰時代です。今や長子権が復帰されたので、長子権も天側に復帰されることによって、サタンが反対することのできない世界的頂上圏に上がってきて立つのです。今や私たちが強く大胆に押すならば、アメリカも押されるし、共産世界も押されるし、韓国も押される時が来ました。日本も押されるのです。ですから、強く大胆であれというのです。(一九八九・一〇・四、漢南洞公館)
統一教会の先生が八定式をし、その次には何をしたのかといえば、天父主義を発表しました。その天父主義を発表する前に何をしたのかといえば、父母圏解放なのです。兄弟圏を解放したので父母圏を解放しなければなりません。世界の父母、国の父母、氏族の父母……。イエス様は氏族的父母になれずに死んだのですね。その次にはイエス様の前に父母が一つになれませんでした。父母がイエス様を敬ったならば氏族的、家庭的アダム圏の父母になったはずなのに、これが分かりませんでした。
イエス様は、氏族の代表であると同時に、民族、国家の代表になるはずでしたが、自分の家庭的父母圏をもてなかったので死んだのです。それで私たち統一教会は、今や兄弟圏を解放したので、父母圏を解放しようというのです。今日、氏族的メシヤを押し立てることにより、皆さんの父母が統一教会に反対していたのを、堕落したアダム・エバが失敗したことを、皆さんが再び復活させて、探し求められた家庭の資格を、天の国の天権をもって是認公布するのです。それが氏族的メシヤ宣布の目的なのです。(一九八九・一〇・八、本部教会)
3 天父主義は家庭中心
今日、私たちがここでいう天父主義時代、八定式が終わることによって発表した天父主義時代は、何をもってつくるのかといえば、個人ではないのです。家庭なのです。それが分からなければなりません。天父主義は何をもって成すのかといえば、家庭なのです。ですから、神様がこのみ旨を成す時、サタン世界や民主世界の一番の問題が何なのかといえば、家庭の破綻なのです。
共産世界は、家庭というものを認めません。家庭は、搾取基盤の基台だといっているのです。神様との関係ができていません。民主世界も同じなのです。ですから、事実上家庭形成のすべてのものが傾きました。社会基盤であり、国家基盤であり、世界の基盤であるにもかかわらず、これが今まで散らばっているのです。ですから、今後、私たちの家庭基盤を中心として右翼世界と左翼世界は、自然に吸収されるというのです。それでは、ここにおいて天父主義は何を中心として成すのでしょうか? 家庭を中心として成すのです。(一九八九・一〇・一七、漢南洞公館)
今や家庭絶対主義時代なのです。家庭を抜きにすれば、天父主義時代とは何をする時代ですか? 家庭を抜きにしては、その天父主義という言葉は成立しません。主義というものは、一つの過程的なものです。橋を渡っていくのと同じです。
統一国は、家庭を統一した国ではありませんか? 家庭を中心としてなされるのです。民主主義がどうなったのかといえば、サタンが民主主義を引っ張っりながら、家庭を破綻させてしまったのです。キリスト教思想圏内にあるアメリカの家庭が、なぜ破壊されますか? 聖書にはそのような法がないのに、なぜでしょうか? 完全にサタンに利用されたのです。
ですから、家庭を絶対視しなければなりません。家庭で絶対的神様のように父母に侍ることにより、絶対的神様の二性性相、性相と形状が絶対的に分立され得ないように、永遠に共にいたのと同じなのです。その次に子女が、アダム・エバが堕落せず、完全に一つになったのと同じです。 (一九八九・一〇・一七、漢南洞公館)
天父主義は、家庭を中心とした王権を回復させて連結させることにより、王権が復帰されるのです。天宙的王権が復帰されるのです。ですから、家庭がなくてはならないのです。これは、必ず家庭が中心なのです。統一的家庭基盤を通じてアダム的統一家庭、氏族的アダムの統一家庭、それなのです。アダムの氏族がいたのではないですか? 民族的アダムの家庭を中心として、統一してこれがずっと連結されなければならないのです。それで、統一的家庭基盤を通じて王権が復帰されるはずだというのです。(一九八九・一〇・一七、漢南洞公館)
4 天父主義と王権
九月一日には、何をしたのでしょうか? 父母圏解放と子女圏解放を整えたので、ここに統一圏家庭が成立するのです。今や新しく生ずるこの家庭的主人は、真の父母を中心とした父母主義なのです。兄弟主義を越えて父母主義です。
父母の愛を兄弟の中で否定する者がいないので、ここから統一的運勢の家庭的基盤が設定され、宇宙が初めて従い戻り始めるというのです。昼夜の正常な軌道に従って、世界が回り始めるのです。このように天父主義を宣布することによって今後、統一王権主義時代へ越えていかなければならないのです。神様が王にならなければなりません。それが私たち統一教会の誓い五の一条なのです。
私たちは、神様を中心とした何なのですか? 一つの主権を誇るのです。私たち統一教会が標傍する、イエス様が願った、神様が願った統一王国をつくり、天上世界と地上世界の地獄を撤廃し、神様が直接統治することのできる愛万能圏時代へと越えていくのです。愛の伝統に従い、垂直的愛が何であり、縦的な愛を中心としてどのように連合されるのかということをはっきり知り、生活舞台に適用するのです。そして、万国、万象世界、天上世界のどこであってもこれを拒否され得る圏を乗り越えることにより、自然に解放の時代が来るのであり、統一の時代が来るのです。
最後に残るのは、永遠なる王権を中心として、長子権を中心とした統治理想世界であり、そこへ行くのです。例えば大韓民国の大統領は国の王であり、道知事は道の王なのです。このような観念なのです。ですから、王権と言っても変に思わないでください。
郡であるならば郡の王権なのです。面であるならば面王権、その次に、部落であるならば部落王権、これが本来アダムに許されていた王権主義なのです。その主義を私たちの家庭ももちます。私はここから始めましたが、この王権を通じて千年万年回っては、あのてっぺんまで経て、根まで通ずることができる自主的な木であるならば、木を代表した枝なら枝、葉なら葉になるというのです。
その話とは何かといえば、皆さんがこの位置にさえ立つならば、どこにでも通ずるというのです。真なる家庭は真なる氏族的な郡に通ずることができ、郡の真なる家庭は道に通ずることができ、道の真なる家庭は国に通ずることができ、国の真なる家庭は世界に通ずることができ、世界の真なる家庭は天の国に通ずることができるのです。通じてからどのようになるのでしょうか? そこで守って、自分のためにするというのではないのです。ために生きるのです。ために生きる創造原則を中心として範囲が広ければ広いほど、犠牲にならなければなりません。苦労をもっとしなければならないのです。こうして解放時代、統一の時代が来ますように。(アーメン)。
「来ますように」と言う時、「アーメン」と言いましたから結局は、私たちがつくらなければならないという話ではありませんか? 南北統一は、私の手で。先生の手ではないのです。王権を継いだアダムの手で。アダムの代身者がしなければなりません。家庭的王権でも、結んでしなければなりません。氏族的王権でも私が死ぬ前につくって死ななければなりません。そうでなくしては、連結され得るものがありません。
もう一度いうならば、木の細胞の樹液は、枝を経、幹を経、根を経て水路を通じてどこにでも通ずることができるのと同じなのです。王の実権を代表することのできる精髄的素性を備えることができないならば、その天の国の一族の存在性を失うという話なのです。
今、語っているのは、王権なのです。王権とはそれなのです。皆さんの父母が王なのです。国を代表した家庭の王なのです。会社であるならば会社の社長が王です。自分の父母の代身なのです。国の王権を受け継ぐことのできる道を築くための橋梁なのです。そのように生きることによって、私たちが天の国の皇族として即位し、千万年生きるのが天上天国だったというのです。(一九八九・一〇・八、本部教会)