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1 うらやましがるな
エジプトから帰ったイスラエル民族が、カナン七族を前に、なぜ滅びたのでしょうか? 彼らが帰ってきつつ、どのようなことを考えたのでしょうか? 四十年の間、砂漠を巡り歩きながら生きたので、その姿はいかばかりだったでしょうか? 服などまともに着ていたでしょうか? 砂、砂、砂、砂の中で生きたというのです。そこで入浴などしたでしょうか? ところが戻ってきてみると、カナン七族には、立派な家があるし、羊がいるし、農土があるし、良い生活をしているのですね? カナンに入ってくるや否や先祖たちが教えなければならないことは、そのカナンの地の娘たち、男たちをうらやましがるなと言わなければならなかったのです。そこに染まってはいけないということを教えられなかったのです。
今回、故郷に帰る皆さんもカナンの福地に入っていったイスラエル民族と同じなので、皆さんは故郷に帰ってお金持ちの人をうらやましがってはいけません! 権力者をうらやましがってはいけません! 浮わついてはいけません! 正しい教育をしなければなりません。神様を愛し、自分の後代を愛し、イスラエル圏の自分の民族を愛することのできる伝統が第一なのです。
皆さんが子供を抱いて教会に出入りするとき、彼らに吸収されてはいけません。何千年ぶりに何万年ぶりに故郷に帰ってきた還故郷の喜びをもち、細胞と骨から響き出る泣き声とともに、血の涙でもってその地をぬらし、天から血の涙をぬらした聖なる地であるという名前が下ってこなければなりません。そこから天国が始まるというのです。 (一九八八・五・二〇、大邱教会)
故郷に戻っていって皆さんは、故郷を復活させなければなりません。故郷が連結されたのではないのです。そのような使命があるのです。
イスラエル民族はそれができませんでした。四十年の間に、乞食の群れになって戻ってきては、よく食べ、良い生活をしているカナン七族がうらやましく、彼らのもっている羊の子がうらやましく、家がうらやましかったのです。天幕を張って住む身の上でしたから。このようにして国を売り飛ばし、神様を売り飛ばしたのです。(一九八八・四・六、漢南洞公館)
2 強く大胆であれ
今までの宗教的救援基台は、個人的基台です。しかし、今は、別の基台です。家庭と一つになってすべての氏族がもっと高い天国を代表することのできるそのような基準です。家庭的な基盤の上に立っているのです。ですから自信をもてというのです。そうであろうとするならば、強く大胆であれと語ったのですが、どのようにしてこそ強く大胆であれるだろうかというのです。(一九八八・一二・二〇、イースト・ガーデン)
今からは皆さんが故郷へ帰るとき、インディアンのような怨讐がいないのです。皆さんが故郷へ帰るのに、インディアンのように皆さんを襲撃する怨讐がいないのです。皆さんを歓迎する故郷があるという事実、これは驚くべきことなのです。
レバレンド・ムーンがこの国で、言い尽くせないほどに苦労したので、義人だという世論が起こっているということと、皆さんが愛国的な仕事をしたということをずっと報告するならば、全部、涙を流し、よくやったと拍手をするのです。
今や皆さんは、故郷に帰って二十歳前後、中・高校生たちがいる学校に行って講義してみなさい。くるっと回っていくというのです。くるっと回っていきます。二十歳前後は、皆さんの仲間なのです。二十歳以上はお兄さんであるし、二十歳以下は弟妹と同じです。皆さんの仲間なのです。自然に合わさるようになっているというのです。二十歳前後は、皆さんの分担なのです。問題が生ずるならば皆さんに従っていくのです。
そのような環境が待っていますが、どこへ行きますか? ここにそのままいなければなりませんか? 故郷に下っていかなければなりませんか? (故郷に行かなければなりません)。それで、皆さんが祖先になりなさいというのです。皆さんに今から、祖先になりなさいというのです。これは、とてつもない事実なのです。統一教会の信徒たちは、全体計画によってそのような時代に入っていくというのです。
また、皆さんは祝福を受けた家庭ですから、サタンが讒訴できないのです。ですから、強く大胆でありなさい。ぶつかるならば、彼らが壊れるのであって、私たちは壊れません。原理的にサタンが讒訴できるいかなる条件もありません。原理的に彼らが攻勢を受けなければなりません。後退しなければなりません。
皆さん、その間牧師たちも伝道し、地方の有志たちも伝道し、みなそうしましたから、故郷に帰ってそれ一つをつくるのは問題ないではありませんか? そうではありませんか?(一九八八・六・一五、イースト・ガーデン)
今は、北韓もソ連も、全部飽和状態にあります。思いどおりにしようとするのですが、文総裁が手を出すので思いどおりにできないのです。何のことか分かりますか? 原理的基準において、既にサタン圏内を抜け出た世界版図的勝利の父母の心情圏を中心として、真の愛を中心として基盤を築いたので、それを侵犯したならば、サタン世界はめちゃくちゃになるのです。今では、統一教会を打つことができない時代に来たということを知らなければなりません。自信をもちなさいというのです。強く大胆であれというのです。ヨシュアがカナンの地に入っていくとき、四十年の間、放浪生活し、悲惨になった後孫に対して強く大胆であれと命令したのです。その命令を受けた後孫たちがカナンの地に入っていくとき、乞食の身の上で入っていきました。四十年の間、荒野生活をしたので、乞食の中の乞食であり、パンツの一枚もあっただろうかと思ってみなさい。暮らし向きが人間らしくなかったのですね。砂の冠を被って入っていったのではありませんか? カナンの地に入っていってみると、そこのカナンの七族には羊もいるし、家もあるし、それで息子、娘が良い暮らしをするし、すべて良い暮らしをしているのです。
そうであるとしても、そこに幻惑されてはいけません。彼らの父親、母親たちが、「お前たちが住む所はこの地ではなく、この地を越えてもっと高い世界に向かって、神様の王国に向かって前進しなければならない責任が残っている」と訓示しなければならないというのです。(一九八五・五・一七、釜山教会)
3 強い信念をもて
皆さんは強い信念だけをしっかりもって行くならば、皆さんの祖先たちが、お母さんであれ誰であれ親戚が押してびくともできないように、口を開けないように圧力を加えるというのです。「私の言うことを聞け」という式です。なぜそうなのでしょうか? 堕落した悪なる霊は立ち去り、善なる圏内の本然の氏族的基盤を中心として父母と連結され得る、国家的基準まで連結された御父母様と世界的基準までサタンを押してきた基盤の上に立ったので、サタンは立ち去り、天使長型霊界のすべての皆さんの祖先たちが協助するようになっています。
(一九八九・三・一九、世界宣教本部)
4 三倍以上活動せよ
今回、先生が韓国に戻っていって何をしたのかといえば、全部、自分の故郷を訪ねていけと追い出しました。全部、故郷へ配置したのです。故郷に帰って、今まで外部で、外国で活動してきたことの五倍以上、三倍以上活動せよと語ったのです。そうするならばくるっと回ってくるというのです。
祭司長になれというのです。それで、先生の命令に従って新しい心情を植えなさいというのです。そうするならば、サタンが干渉できません。そのような決心をしていく皆さんの立場は、堕落する前のアダム・エバの立場に匹敵するというのです。天使長、皆さんの祖先たちがみな来て、「ヨイショ、ヨイショ」と後押しするというのです。
皆さんが一つ鉄則として知らなければならないことは、その地方で生まれた忠臣、愛国者、孝子、教会の牧師たちが尽くした精誠以上に精誠を尽くしなさいということです。そうするならば彼らが全部、協助するというのです。それが条件なのです。そのようにするならば、サタンが讒訴することのできる圏以上の位置に立つようになるので、サタンが反対せず、霊界の協助により皆さんの祖先たちが後孫たちに現れて全部、統一教会に入っていけと霊的に協助し、伝道するというのです。(一九八八・六・一五、イースト・ガーデン)
さあ、それで故郷に行く皆さんは、農村で農業をするならば、農民の中で最高になり、学校に通うならば、学校に通う学生たちの中で最高の学生にならなければなりません。(一九八八・五・一一、清州教会)
故郷を愛さなければなりません。今までは考えなかった故郷に、博士たちも帰っていくのです。故郷の山川を愛さなければなりません。皆さんのおじいさん、おばあさんたちが土地を掘り、血の汗を流した、それ以上愛さなければなりません。これが文先生が行った道なのです。
ここにいる李博士、学校に通うとしても、どこかの土地に行って稲刈りをしてみましたか? 今や帰って、草刈り鎌を握って汗を流した祖先たちを考えながら、それ以上に汗を流せというのです。田んぼの畝間を掘り、まぐさを刈って牛にも食べさせてみなさい。祖先たちがした以上のことをしなければなりません。だからといって万年せよというのではないのです。条件なりとも立てなければなりません。そうしてこそ皆さんの祖先たちが再臨することができるのです。何の話か分かりますか? その町内で生きて死んでいった霊たちが、土地を訪れ、因縁を訪ねていって、そのような人たちに再臨して恵沢を受けていくのです。
自分の家の中を切り回すことのできない人は、国を救うことができません。修身斉家治国平天下と、そう言ったではありませんか。それは合っている言葉なのです。
私も家の中を切り回せませんでした。今までの戦いは、カイン兄弟間の戦いでした。家の中の戦いではありませんでした。父母に侍れなかったというのです。それで、還故郷して神様に侍り、長子権と次子権を探し求めて南北を一つにつくらなければなりません。そして真の父母の名前をもって祖先たちと合わさり、神様の前にこの国を奉献しなければならない責任が文総裁にあります。(一九八八・四・六、漢南洞公館)
5 氏族を愛し地を愛せよ
故郷に帰ったのちに、夫婦同士争ってはいけないのです。飢えながらも、争ってはいけません。悪口を言われながらも争ってはいけないし、泣くとしても自分のために泣いてはいけません。その一族のために泣かなければなりません。私たちの故郷の父母たちが、私たちの祖先たちが天に侍れず、涙を流せず、この土地を耕せなかったことを、私が還故郷してしますと言わなければなりません。地を愛し、民を愛する父親、主人が来たということのできる、神様の代わりにその郷里を保護することのできる、また、先生の代わりに郷土を愛することのできる皆さんになることによって、韓国領土には天国が訪れてくるのです。分かりますか? 通り過ぎる言葉だと思ってはいけません。
それでは、帰るという人、手を挙げてみなさい。帰らないという人、いることができますか? そういう者は、腕を打ってしまわなければならないのですね。私も故郷に行けば、いかばかり……。ここの三十八度線が開かれるならば、私が先に行くのですが……。
還故郷して氏族的メシヤになるにあたっては、迫害がないので、み言さえ語るならばみな収拾されるようになっているのです。(一九八九・一・一、本部教会)
それでは今から、「故郷に帰れ。還故郷せよ」と語ったその時から、文氏の息子、娘を皆さんよりももっと愛さなければなりませんか、皆さんを文氏の息子、娘よりもっと愛さなければなりませんか? (文氏の息子、娘をもっと愛さなければなりません)。今の時は、先生が教えてあげたとおり、アベル圏を犠牲にしてカインを復帰する時代なのです。世界史的な転換時代に入ってきたので、アベルが長子権を復帰する時代なので、全部故郷へ帰るのです。
それを故郷のサタンは反対できないというのです。特にその上、宴会のもちをもらって食べた人たちは、全部条件に引っかかって、先祖たちが必ず霊界で何千倍、何万倍も問題になるのです。そうとは知らず、普通のもちだと思い、もちを一個食べたのですが、それが福もちだと知らなかったのですね? そうではありませんか? 間違って食べ、薬が入っていたならば死ぬのですね? これ、生きるもちだと知らずに食べたのです。
ですから、自分の故郷に帰り、今からは統一教会の信徒たちが還故郷したので、世界の統一教会より自分の氏族をもっと愛せよというのです。先生が命令することはそれなのです。統一教会の信徒よりも、自分の一族をもっと愛して、一族の王になれというのです。もう一度言うならば、氏族的メシヤになれというのです。氏族的メシヤの基盤が起こってこそ、民族的メシヤが立つことができる基盤が生ずるのです。(一九八八・八・二八、漢南洞公館)
皆さんが今から故郷に帰るならば、故郷の山河を再び眺めて、「ああ、これは私に下さった神様の礼物だ」とこのように思いなさい。自分より年が多いおじいさんの木、私より年の多い川にいる砂利たち、そして野原を眺めながら、「元気でいたか?」と言わなければならないのです。それが愛です。
自然を愛することができてこそ、人を愛するのですね。それを再びしなければなりません。復帰なのです、復帰。アダムが万物を愛せなかったので、万物を愛さなければなりません。郷土に帰って自然を愛さなければなりません。自分の町内にある草から、すべての山川草木まで全部愛せよというのです。山川草木、動物までみな愛することのできる立場になったならば、その基台の上で人を愛せよというのです。人は、万物を復帰してからのちに愛するようになっています。
どれだけ素晴らしいといっても、どれだけ主人だといってもそれが原則です。どれだけできが悪いといっても、罪人であるとしても、万物よりもっと高く愛さなければならないというのです。天倫がそのようになっています。
なぜ悪なる人を神様が打つことができないのでしょうか? その悪なる人たちも支配することのできる万物であり、宇宙なのです。宇宙を打ってから、人を打つようになっているのであって、人を先に打つようになっていません。ですから、このような道理を御存じの神様は、がまんしてこられるのです。それで万物を愛し、人を愛さなければならないのです。
その次に人を愛するときは、一番悲惨な人たちから、悲惨な幼い子たちから愛して、ずっと中年へ上がってくるのです。世の中で生活の難しい人たちは、良心的な人たちが多いのです。私たち統一教会の家庭は、世の中で一番生活の難しい人を愛せよというのです。生活の難しい人は、悪魔の世界にいるとしても、今後そのような人の中で神様の天運を受け継ぐことができる人が出てくると見るのです。(一九八八・四・六、漢南洞公館)
今年に入って私が韓国に、「韓国統一」という標題をつくりました。歴史時代に一生を通じて、世界を遍歴しながらこのように死なず、生きて故郷の地に戻ってきて誰よりも疲れきった生活をしなければならない、これが今年の標語なのです。韓国統一をどのようにするのですか? 私が先頭に立って誰よりも疲れきった道を行くというのです。
ここにいるお母様がそうだというのです。お母様は、従って回りたくなければ家にいてください。今やそういう時が来たのです。なぜでしょうか? なぜそうなのかといえば、氏族的メシヤになって故郷を訪ねていけという話をしたからなのです。氏族的メシヤを成さなければならないということを語ったので、それが可能だというのです。お母様はなぜそうなのか知らないのですね。昔であれば間違いなく出かけなさいというのですが、今は、私が一人で行ったり来たりするのです。
それはなぜでしょうか? 大韓民国の誰よりも、神様を中心として一番疲れる位置に立とうとする人が私だからです。それで今でも、夜十一時を過ぎてあの木浦へ行って、十二時間以上動き回ったのです。このように疲れるのです。今では私が地方を訪ねて回り、その次には、万物を愛さなければならないのですね。その次には人を愛さなければなりません。その次には何を愛さなければなりませんか? 神様を愛さなければなりません。ところが、堕落した人間は、本然の人として戻ってこなければ、神様を愛することができません。(一九八九・二・五、本部教会)
6 いかなる教会に対しても寛容であれ
私が今回指示したことの中には、二世を立て故郷を復帰せよと語りました。まとめて故郷に帰るのです。統一教会の家庭教会の理念を代表することのできる二世たちを連れて、皆さんの故郷に帰るのです。一人が十名、二十名の若者を連れていって、死ぬといえば死ぬし、生きよといえば生きるし、二十四時間、その部落を握り、ありとあらゆることをみなしてもその町内の人たちが反対できないのです。父、母もそうなのです。今では、文総裁に反対できない環境へ世界がだんだん巻き込まれていっているのです。「いいぞ!」というようになっています。たちまちのうちに回っていくのです。
郷土に帰って、何の教会であれ既成教会を壊さず、反対するなというのです。既成教会に私たちが入っていって、神様の思想を入れるのです。(一九八八・四・六、漢南洞公館)