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1 復帰摂理は長子権を探し求める摂理
もし、人類始祖が堕落しなかったならば、どうだったのでしょうか? この地球の主人は、二人ではないのです。主人は一人なのです。
ところが堕落することによって神様として主人にならなければならない立場を失ってしまい、神様の息子の立場にならなければならない人間であるにもかかわらず、反対に悪魔がこの世の主人になり、人間は悪魔と共に連結されるしかない立場になったというのです。このように悪魔と連結されたすべてのこの世界の上に、再び救援摂理をして着陸するというのは、そんなに易しくはないというのです。
皆さんが旧約聖書で学んだように、初めてサタン世界で宗教という背景を中心としてサタンと戦って勝ったという、勝利したという内容を中心として出現した民族がユダヤ民族、ヤコブの後孫であったというのです。イスラエルの後孫。
それで、イスラエル民族を中心として家庭から氏族を編成し、民族を編成するのです。そのイスラエルの国を中心として世界を支配することのできるメシヤを送ると語ったのです。国を中心として天は開拓してきたというのです。
それで、ここで問題になるのは、イスラエルがサタンに勝ったという意味なのですが、これが何なのかというのです。サタン側と神側を分ける役事をしてくるというのです。皆さんが知っているとおり、カインは何ですか? カインは、サタン側の長子だというのです。それでは、アベルは何ですか? アベルももちろん堕落したアダム、エバの後孫ですが、これは天側なのです。天側に立てようとする、将来長子権を身代わりして立てようとしたアベルだというのです。長子権、神側長子権なのです。ところで、ここでサタン側長子権と神側長子権といって長子権が二つ生ずる立場に立つというのです。ですから、ここにいつも闘争がないはずがありません。戦いがないはずがありません。
このような戦いをするには、個人的にサタン側長子権、その次には天側長子権、カイン・アベル問題を中心として戦いをするのです。そこに兄の位置がサタン側になったので仕方なくサタンに従ってきながら、サタンの迫害を受けながらこれを分立させ、個人的長子権から家庭、氏族、民族、国家、世界へ分かれてくるのです。
イスラエルとはどんな言葉なのでしょうか? 長子権、サタン側の長子権に勝って天側の長子権へ置き換えさせておくことのできる基準を設定した位置をいうのです。それでは外的世界、サタン世界はどうですか? 世界を一つにつくるにあたって、今までこの国家基準を中心として長子権の位置を守っているというのです。神様の復帰摂理が世界的長子権を探し求めてくるので、民族と国家を全部分立させておき、国家というその位置から出てこられないように今まで妨害してきたのです。ですから、神様の摂理から見るならば、神様のみ旨に従うすべての人たちは、世界へ行こうとする人たちです。世界に向かっていこうとするのです。(一九八六・六・八、世界宣教本部、グランドボールルーム)
2 長子祝福
皆さんがよく知っているとおり、ヤコブは祝福を受け、二十一年間、僕の生活をしながら冷遇されました。ラバンの氏族圏内に入っていって氏族の迫害を受けながら二十一年間耐え忍び、氏族の祝福を受けて戻ってくる時、エサウがそこに一つになることによってイスラエル氏族圏が形成されたのです。そうでなかったならば、エサウ氏族圏の前にアベルとしてヤコブが現れることができないというのです。対等な天の氏族圏をもってサタン側の氏族圏の前に出ていって、どちらがもっと耐え忍び、勝ち、どちらがもっとために生き、愛するのかという観点を前にして、サタンと神様の所有権交換が起こったという事実を知らなければなりません。
なぜそうでなければならないのでしょうか? 神様の世界では、本来、長子が祝福を受けるようになっているのであって、次子が祝福を受けるようになっていません。次子の位置で長子権を取り返さなければ、天の国の息子の位置に立つことができません。それは祝福を受けることのできる原理基準を身代わりすることができないからです。ヤコブの賢いこととは何ですか? 兄が狩りに行って帰ってきた時に、腹が空いていることを知っていて、パンとレンズ豆のあつものを与えて長子権を買ったということは驚くべきことだというのです。それは、父をだましてでも、父が反対するとしても、長子の権限を探し求める権利があるからです。堕落したものを蕩減復帰するためには、避けられなかったというのです。
さあそれで、ここに戻ってきて勝つことにより、家庭的に出ていく抜け道をつくらなければならないというのです。なぜでしょうか? アベルの一族が長子権を中心として入っていかなければならないからです。それで、長子権をサタン世界がもっていたので、イスラエルの国に入っていくに先立ち、サタンの代表国であるエジプトに入っていったのです。エジプトに入っていって戦ったのです。
エジプトに入っていってエジプトの多くの民の前に四〇〇年間迫害を受けたのです。イスラエルの一族がエジプトに入っていってエジプトの多くの民の前に四〇〇年間迫害を受けながら、神様のために耐え忍んでエジプトの国を屈伏させて出てきたのです。
そうして、イスラエルの国、天の国を探し求めることのできる権限を探し求めていく過程では、荒野を経て入っていかなければならなかったのですが、そこで探し求めることができなくなってしまったのです。その国を探し求めることが最高の希望でした。それを探し求めるには、息子、娘や妻が飢え死にするのが問題ではありませんでした。六十万大衆が倒れ、約六十万が残ったとしてもその国を探し求めることができるよう、死にながらも入っていけと激励しなければならなかったのですが、騒動が起こって全部行くことができず、倒れたというのです。
モーセに血気がなく、知恵深かったならば、エジプト人を殺しただろうかというのです。モーセがじっとしていたならばエジプトの主権を受け継ぎ、その国の王になり、王になったのちにエジプトの宝物を全部所有するようになり、イスラエルの国の代わりにカインの国を復帰した基盤で、イスラエル復帰が自動的に展開されるのです。しかし、モーセが血気をもって人を殺すことによって、これが途絶されたという事実を知らなければなりません。
それはなぜそうでなければならないのでしょうか? 本来の堕落しなかった世の中では、長子が祝福を受けるようになっており、次子は祝福を受けられないようになっています。ところが堕落することによってサタンが長子の位置でこの世を全部支配するので、サタン世界と戦って勝利のチャンピオンの贈物を持って戻ってこずしては兄の位置に、アベルが長子権の位置に戻っていく道はありません。ですから、不可避的に個人的なカイン・アベルの戦い、家庭的なカイン・アベルの戦い、氏族、民族、国家、世界型のカイン・アベルの戦いを展開しながら、出たり入ったりしながら蕩減復帰歴史を手探りしてくるのです。今までこの過程を知っている人がいなかったので、この過程で多くの宗教人が犠牲になったのです。多くの信仰者が犠牲になったというのです。(一九八四・五・一、世界宣教本部)
3 なぜ次子が福を受けたのか
堕落とは何かといえば、理想的祝福圏で堕落したのです。ですから、サタン圏内の支配を受けるようになったというのです。それゆえにサタンの前に生まれたすべての長子は、サタンの息子になったのです。エジプトで長子を打つ業とかいうものは、みなこうして起こったのです。聖書の歴史を見るならば、次子がなぜ福を受けるのでしょうか? 長子権復帰を知らなければ、聖書の歴史は謎みたいです。エサウとヤコブの歴史を見るときにヤコブは母を中心としてエサウをだまして祝福を受けるのですね? 神様がそれを知っていながらヤコブを祝福したという事実は、宗教歴史を背景とした真理を中心としては、解釈することのできない謎になっています。
なぜそうなのでしょうか? これは、私たちの統一教会の原理を知らずしては解く道がありません。私たちの統一教会の原理は、漠然とした原理ではないのです。では、統一教会の原理は、何の原理なのかというのです。それは、再創造原理なのです。創造原理を破壊したのでこれを再創造するのです。創造原理というものは、永遠なものです。これを中心として復帰歴史をしているという事実を知らなければなりません。
出ていってまた、ここに入ってきて一段階上がってくるのです。上がってきてこの業をするのです。それで、先生も今まで四十年の間、他郷生活をしたのです。定着してはいけないのです。分かりますか? 個人的蕩減復帰路程、家庭的蕩減復帰路程、氏族的、民族的、国家的蕩減復帰路程まで、それが一九七二年度までなのです。(一九八六・一・二一、本部教会)
本来、次子の位置では、神様に対する愛の道理を中心として上がっていくようにはなっていないのです。これを探し求めていくためには、次子は長子を表に立てなければなりません。長子が罪を犯したので、父母を探し求めていこうとするならば、長子が次子に、「お前が私の代わりに前に立て」と言って押してやるのです。こうして兄の代わりに一緒に上がっていくのです。双胎として一つの胎内にいるのと同じです。兄が弟の前に立ったとしても、兄より先立っているのです。ですから、聖書の歴史は、次子が福を受けるのです。次子が福を受けるのは、迫害を受けるからです。(一九八六・一一・一七、リトル・エンジェルス芸術会館)