P.272 |
その頃学校に通いながら、日曜学校の学生たちも指導して、みなそうだったのですね。黒石洞教会でもそうだったし、西氷庫教会でもそうでした。
その頃は漢江が凍って、夜に寒いから河が凍って氷が割れる音が「ガアン、ズズズズズ…」とそうなのです。そうすると一人でいると恐いのです。そんな漢江を渡って通いながら、西氷庫にある日曜学校の学生たちに教えました。
私が日曜学校の学生たちにとてもよく教えました。今は話を面白くできませんが、その頃は面白くしていたようです。私が涙を流すようになると、全部がわんわんわんわんといいながら、毎回泣いて大騒ぎしながらですね。一度泣いたら充分だろうに、泣かせるのはここまでにしてくれと願うはずなのに、またしてくれというのです。ついて回りながらですね。そのようによく話をしてあげたのです。そのようにしながら通った日…。(一五\一八二)
若い子供たちに日曜学校の先生の役割、すなわち教えるのですが、私は名の通った日曜学校の先生でした。なぜ? 子供の心理をよく知っているからです。私が経験して知っているのです。私が悲しい場合にはいちばん悲しい場面を話し続けるのです。本は何の本? 話せば長編小説なのです。監獄に入るようになれば、三百六十日全部毎日にように小説の話をするのです。それは即席中の即興長編です。なんのことか分かりますか?
私たちのような人は、今やどこへ行っても、一日に十回、百回説教しても詰まることはありません。だから商売になるのではないですか。(笑い)だめな人たちを連れて、先生として食べていっているのでしょう。私は文先生ではないですか? 統一教会の文先生です。おじいさんの前でも文先生であり、ここにいる尹博士に対しても文先生です。その博士のおじいさんの前にも文先生であり、子供に対してもまた文先生です。子供にも私はよくするのです。子供ともよく遊ぶのです。また針仕事をするのも私はうまいのです。パンツは私が一人で全部作ります。編物もできないものはありません。私の服は、私が作ります。靴下のようなものは一日あれば一、二足、三、四足作ることのできる能力がある人です。(一三九\五一)