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心と体の闘いは、大東亜戦争よりも危急で、核戦争よりももっと恐ろしい戦争です。その戦争は休戦もありますが、ここには休戦もなく終戦もありません。我々の人生がこの地上に存続し始めたその日から終わる時まで、我々の心の底では休戦もなく戦争が続けられているのです。このような人々が家庭を成し、氏族を成したのでもっと闘うようになり、このような民族と民族が合わさったのでもっと闘うようになり、国家と国家が合わさったのでもっと闘うようになりました。
今までの人類歴史は戦争につながった歴史でした。ある一日も戦争が終わる日がなかったのです。その闘いの根拠地はどこでしょうか。体と心です。体と心が闘いの根拠地になることによって、個人、家庭、氏族、国家がそのようになったのです。(一九―二八七)
世の中の戦争の中で最も大きい戦争は、欧州戦争や世界大戦ではありません。「私」を征服するための戦争以上に大きい戦争はありません。この戦争は六千年も続けているのに、今なおその闘いが終わっていません。終わりましたか、終わりませんでしたか。罪悪のふろしき包みばかりがより一層大きくなったのです。そうして六千年の罪悪の歴史が皆さんに集結されています。では、この罪悪の歴史を誰がひっくり返してしまうのでしょうか。皆さんではできないために、それよりも大きい力をもったメシヤが必要なのです。神様の息子が必要だというのです。(二一―一八九)
皆さんが自分一個体を悪から救うことはどんなに難しいですか。現在の統一食口において問題になることは何でしょうか。体と心を中心として「私」一人を完全に解放させることです。これがどんなに難しく、その闘いがどんなに熾烈でしょうか。この闘いは米・ソが互いに競争しながらする闘いとは比較になりません。民主世界と共産世界が闘うことは問題にもならないのです。それよりももっと難しいというのです。この闘いは我々の個体が起源になっているというのです。
このように、個人に二つのやからがいて闘うのと同じように、家庭も二つのやからで、社会も二つのやからで、国家も二つのやからで、世界も二つのやからなのです。これを族譜で問い詰めるならば、一つは悪の個人で、悪の家庭で、悪の社会で、悪の国家で、悪の世界であり、また一つは善の個人で、善の氏族で、善の国家で、善の世界です。このようにはっきり分かれました。一方は神様を主として一つの宗教圏内に立っている側であり、他の一方は神様を否定する物質圏内に立っている側です。人がそうだというのです。(四一―六三)
世界のどのような苦難よりも、どのような災難よりも、どのような戦争の被害よりも、私の体と心の闘いによって生じた被害がより大きいというのです。心の敗戦による山のような悲しみの敗残物が積まれているということを皆さんは知らなければなりません。
一日に何度も体との闘いで心がいつも負けているけれど、人々はそれを知らずにいます。しかし、道を歩いていて石の角に引っ掛かり倒れたことは、一年、いや一生の間忘れず「数十年前にここで私が倒れて足が折れたっけな」と、よく記憶しています。もう一度言うならば、心と体の闘いによって心が敗れたことは忘れてしまい、考えもしない人が多いというのです。
こういうことを考える時、皆さんがいくら大口をたたいたとしても、それ自体は敗残兵の立て札を持っている姿だというのです。しかし、本来は心と体が闘って心が勝利することにより、いつも体を主管するようになっています。ところがそのようにできなかったゆえに、心と体がそれぞれ他の方向を追求するようになったのです。(一九―二八五)