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今父母様に侍らなければなりません。侍衛、侍ること、囲いを張って侍るというそのことなのです。包囲という言葉があるじゃないですか。侍衛と世界国家…。真の父母侍衛、真の父母に侍らなければならないのです。ですから、写真が必要なのです。ですから、旗が必要なのです。家庭でいくら忙しくても…。
この頃、あの「ソウルの土鍋(テレビドラマの題目)」で、息子が死んだ父の写真をかけておいて、頼みの話をするのを見て「おい、あれ…。統一教会の教徒たちがすることをしているな」そんな思いがしたのです。父が何、どうのこうの言いますが、それが本当に素晴らしかったのです。写真を見てですよ。それは祈祷です。「真の御父母様、こんなことがありえますか? こんな事情が皆こうなので、これをサタン世界がそうしているので、無念で悔しいのです」と言えば、「おお、そうか! そうか!」そう言うようになっているのです。分かりますか? 侍らなければならないのです。
写真から侍らなければならないのではないですか? 愛するなら写真を持って歩くでしょう? それによく侍る人が実体を迎えるのです。そうすれば福が来るのです。福が来るのです。先生の福がどれほど大きいか分かりますか? 私が福を受けた王のような人なのです。私によく侍れば、福を無限に受けることができるのです。
私の言葉に食い違うと、くず中のくずになります。天下に今、そのようになっているのです。天の霊界に行ってみなさい。地上にもそうです。地上にも今、皆現れていません。霊界が今、全部合徳(一体)になることができるということです。分かりますか?
今、父母様に侍らなければなりません。ここに写真を、あそこに親戚たちの家に…。皆さんがこれをしないようになるといけません。おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、どの家もみんな写真を、息子の家、娘の家に持っていってつければいいのです。違いますか? 誰が何と言いますか?「この野郎! 私が好きでつけるのに、婿の奴がどうのこうの言うのか? 孫の奴が何だかんだ言うのか? どけ! おまえの家に福を受けるようにするためのものであって、滅びろというのではない。この方が今まで七〇の生涯をそのように迫害を受けて、四方から射る矢を受けたが、生き残ったぞ。何百回死んでも残りうる環境で生きてきたんだ。神様が守ってくださって運があって、福があるために、生き残ったのだ。その方の写真をかければ、その懐に抱かれたようになって、その影に避難所のようにいることができる環境になるのに、何を言うんだ! 福を受けるのが当然なのに」と一言言えば終わるのではないですか?
おじいさん、おばあさんを遣わせて、父方のおばさんの家、母方のおばさんの家にできるじゃないですか? おじいさん、おばあさんがいなかったら、五代前のおじいさんの下の五代の孫を全部集めておいて、一大演説をしなさい。「きのう、夢の中でおじいさんが現れて、このように教えてくれました!」と言うのです。そうかといって、嘘は言わないでください。そのように祈れば教えてくれるのです。おじいさんが現れて「おい、このようにしろ!」と教えてくれるのです。「五代前のおじいさんが、このような顔で、このような表情でした。私は、会えなかったおじいさんがこのようにしてこそ、我々一家が福を受けるのだと、今日お祝いの日に、どうか文先生の写真を奉って、統一教会の旗を立てなければならないと通告するので、皆さんしなければなりませんか、しなくていいですか? 私が解放させて助けてあげるべきであって、そうでなければ皆さんのおじいさん、おばあさんが死にます!」と言うのです。その運動をしなければなりません。
写真をつけた人たちは、我々の人たちになるのです。そうですか、違いますか? 何か分からなくてもいいです。原理を理原と言ってもいいです。東を西と言ってもいいです。方向が分かって何をしますか? 愛が分かればいいでしょう。息子娘を産めばいいじゃないですか。嫁たちが東西南北をもっとよく分かって、八卦を解いて指図をしたとしても、息子を産めなければ滅びるのです。分かりますか?
真の父母の侍衛と何ですか? 世界国家。どの国が国家の命令を通じて、「我々統一教会の文先生を我が国に善なる代表者として迎える!」と言い、「我々国民は、この写真を大統領とともにかけよう! アーメン!」と言えば、福を受けるのです。国がいっぺんに復帰されるのです。分かりますか? 国が復帰されて入ってくるのです。一族が復帰されて入ってくるのです。
「選挙のとき、当選しようとするなら、文総裁が生きている限り、行ってサインをもらってこなければなりません!」と言うようになるのです。「写真をもう何十年も前からかけているのに、どうしてその写真の見る前で私が嘘を言いますか!」と言えば、野党、与党、そこに統一党が生まれるのではないですか? 違いますか? 自然屈服が皆できるのです。分かりますか、分かりませんか?(分かります)。
いつもこのような話はしてあげないのです。訪ねてきて祭祀をしても、してあげないのです。してあげるだけでも過分なのに…。これは皆必要な言葉なのです。