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B 真の父母という言葉は驚くべき言葉

皆さんが知るべきことは、我々は堕落したことによって、我々の故郷を失ってしまったということです。また、国を失ってしまい、世界を失ってしまったのです。もっと進んでは、神様まで失ってしまい。神様の愛までも失ってしまったのです。このような膨大でとてつもないすべてを、再び探しうる一つの起源が何かというと、真の父母という驚くべき名詞なのです。

神様から見れば、今まで歴史的に願ってこられた摂理の目的が何か? この(真の父母)基準です。人類が堕落した以後、今まで蕩減歴史をしてきたのは、何をするためか? これ(真の父母)を探すためです。数多くのキリスト教徒たちが、今まで一日の願いを持って再臨の日を待つのもこのためであり、数多くの宗教が、全部この一日を願っているのもこのためです。このような事実を考えるとき、真の父母が生まれたのは、恐ろしくも驚くべき事件であることを知るべきです。

皆さんが故郷に行こうとするのは、そこに父母がいて、兄弟がいるためです。父母を中心として連結した人がいる所であるために、故郷をしのぶのです。そのような故郷を抱いている国、そのような故郷の人が連結しうるその国を、人々は自分の祖国だと言っています。一般的に祖国というのはそのようなものです。

そのような面で、本然の人を中心として見るとき、我々には故郷もなく、祖国もないのです。過去にもなく、現在もないのです。あるといっても、それは悪であって、我々とは何らの関係もないものです。真とは関係ないのです。(六七\二二七)

統一教会の真の父母という言葉は驚くべき言葉です。偽りの父母は、サタンの愛を中心として、落ちた愛でしたが、真の父母は神様の愛を中心として上がるので、愛の世界に前進していくのです。分かりますか、分かりませんか?(分かります!)

では、なぜ我々がその愛を探そうとするのか? 愛というものは、偉大なものです。永遠に平等なものです。愛という名前だけ聞けば、いくら高い位置にでも一度に同参することができる資格をもつのです。女が字を一字も知らず、男が世界の大学者でも…。(一四四\二四一)

統一教会では、真の父母という言葉を言っています。これは驚くべき言葉です。真の父母が何ですか? 偽りの父母が生まれたので、真の父母が出てこなければなりません。真の父母は何をすべきか? サタン世界の根となる過った血統を正すべきであり、過った生命を取り返すべきであり、過った愛の道をまさに開かなければなりません。

聖書に「死なんとする者は生き、生かんとする者は死ぬ」とありますが、そのような逆説的な論理がなぜ出てこなければならないかというのです。サタン世界では死ななければなりません。(一六九\三九)

先生がハンサムではありませんがね、変わらない希望があるなら、神様のみ旨を追求しようとすることです。その理想的な目的の基準、その定着点が何かといえば、真の父母です、真の父母。分かりますか? 真の父母です。

では、神様のみ旨の完成が何か? 創造理想完成が何か? アダム・エバが愛の理想を成して、直接主管圏内で父母の位置に立ちうることが、理想的基準ではないかというのです。み旨の完成の位置ではないかというのです。

皆さんは、先生がこの地上に真の父母という名前を持って来たことが、どれほど驚くべきことかを知るべきです。分かりますか? 真の父母という言葉。世の中の言葉の中でいちばん福となる言葉が、堕落した人間においてはその国を失って捜すことよりも、世界を失って捜すことよりも、真の父母という言葉です。それは天地の何よりも貴いということを知るべきです。(一二七\二二一)