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@「真」とは
この天地間に真なる方がいるなら、その方は誰でしょうか? 絶対者です。この絶対者を、今日我々の韓国語で言うと「お一人しかいないご主人様」ということです。一人(韓国語でハナ)しかいないご主人様をもっと縮めて言うと、神様(ハナニム)になります。お一人しかいないご主人様が、神様だということです。
では、神様はどんな方か? 神様は、地上の良い人も好きで、悪い人も好きです。罪を犯して死刑場に出て死ぬようになる死刑囚も「神様! 私をかわいそうに思って下さいませ。私はあなたが好きです」と言って死ぬでしょう? そうですか、違いますか?(そうです)。「神様、私は死ぬ! あなたが私をこうなるようにした!」(笑い) そう言いますか?(言いません!)
では、どうして神様の前では、悪いことをして死んでいく立場にある人も、良い心で犠牲になって再出発に希望を誓いながら、その神様の前に最高に寄与し、また頼り、彼とともにいたがり、内心では父母を離れ、兄弟を離れ、誰よりも切に近くで事情を通じたがるかというのです。これは、神様が偽りだからそうですか、真だからそうですか?(真だからです)。真であるためにそう言うのです。
真なる方は好きな者だけ好むのではなく、自分を殺せと言う怨讐までも好まなければなりません。彼の前には、すべてを任せることができ、すべてを相談したくもあり、すべてを願うこともできる立場にある人であってこそ、真なる人です。分かりますか? もう真なる人が分かったでしょう?(はい!)
では、お嬢さんたち、今まで育ってきた過程で、憎い人がいましたか、いませんでしたか?(いました)。では、憎い人がいる人は、真なる人ですか、偽りの人ですか?(偽りの人です)。ここの男たちも憎い人がいる人は、真なる人ですか、偽りの人ですか?(偽りの人です)。間違いなく偽りの人です。では、この世界には偽りの人が多いですか、真なる人が多いですか?(いつわりの人が多いです)。偽りの人が多いでしょう?(はい)。これをはっきりと知らなければなりません。
真なる人になろうとする人なら、両面を備えているべきです。統一教会の輩たちが、私を好きな人はとても好きで、私を憎む人は積極的に憎んだら、良い輩ですか、悪い輩ですか?(悪い輩です)。
それで、私を憎む人も好もうというのです。私を憎む人を私が好めば、その人が嫌がりますか?(好みます)。好むのです。私を憎む人に私が三回以上良く接してあげたら、彼が頭を下げるようになるのです。三回だけ良くしてやれば、頭を下げます。そうか、そうでないか、一度やってみなさい。人には良心があって、自分が過ったのかよくやったのか分かるのです。(三九\三〇二)
皆さん、我が国には良い人が多いでしょう? 世の中には立派な人がたくさんいます。偉人もいます。それなら、大韓民国の偉人は誰ですか? 大韓民国の「偉人」と言えば、大概誰を言いますか?(李舜臣将軍です)。そうですか。李舜臣将軍! 李舜臣将軍も偉人です。皆さん、李舜臣将軍が好きですか、嫌いですか?(好きです)。全部好きですか?(はい)。
では、李舜臣将軍が真なる人ですか、そうではないですか?(分かりません)。分からないでしょう。分からないのに好きだというのです。ですが、先生はそのように好きではありません。私がこう言うから「おかしい。あの方はなぜああ言うか? 我が国の忠臣を嫌うとは。では、あの人は共産党か、民族反逆者か?」と言うかもしれませんが、私は李舜臣将軍が嫌いです。なぜ嫌いか知りたいでしょう? 答えてあげましょう。(笑い)
「李舜臣将軍」と言えば、韓国人すべてが、忠臣として知っています。しかし、日本人はどう思っていますか? 怨讐ではありませんか、怨讐? 日本人は、李舜臣将軍を怨讐と思うのです。これは、日本の歴史の本にも明らかにされています。李舜臣将軍は、日本人の前には怨讐であり、韓国人の前には忠臣だということです。それで、先生は彼が好きでないのです。
「真」ということは、英国に行っても真であり、ドイツに行っても真であり、アメリカに行っても真であり、韓国に来ても真であり、アフリカに行っても?(真です!)日本に行っても?(真です)。真になるべきなのです。ですから、真は怨讐がないのです。真は好きでない人がいないのです。一方では好きで、他の一方では嫌うのは、完全な真になれないのです。そうでしょう?
李舜臣将軍が、完全な「真なる人」であるなら、日本人も韓国人とともに偉人として、真の人であれば真の人として崇拝すべきです。しかし、真なる人の基準で見ると、李舜臣将軍は完全な真ではないということです。少しは真になれますがね。大韓民国を中心として見ると真ですが、日本を中心としてはそうではないのです。ここに異議がありますか? 異議がありますか、ありませんか?(ありません)。私は真なる人を願うので、李舜臣将軍のように真になりきれない人は好きではないのです。
では、この世の中で真なる人はどんな人か? 前で言ったのと同様に、悪い人も好み、良い人も好む人です。良い人がいちばん好きな人を、悪い人はいちばん憎むべきですか? 悪い人もいちばん好きな人でなければなりません。ここには良い人と悪い人が混ざっていますが、願って希望することは、すべて最高のものです。最高を皆好むのです。皆好むということは、良い人も好むのであり、悪い人も好むということです。そうでしょう?(はい)。
それゆえ、悪い人だといって嫌ったら真ではありません。悪い人も最高に好み、良い人も最高に好むべきなのです。これが真なる人の定義です。真なる人とは、悪い人もいちばん好み、良い人もいちばん好む人です。そのような者がいれば、その方が真なる方です。ここに異議がありますか? ないでしょう?(はい)。(三九\三〇一)